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その2

 出発の日も近づき、私は妻や先輩、上司と共に出発地羽田空港に向かった。当時は羽田が日本唯一の国際空港で、列車で家族や上司と上京する。東京支店からも羽田空港ロビーに代表が見送りに来て、拍手万歳三三七拍子で激励される。今では考えられない、見送り風景が空港ロビーのあちこちで繰り広げられていた。出発は夜だった。       しかし運悪く台風が接近し、飛行機は飛ばなくなり、私は見送りに来た妻と日航が用意した羽田東急ホテルで一夜を過ごし、翌日、DC8でアメリカに向けて出発した。 ハワイのホノルル空港に着いたのは翌日の真夜中だった。ホノルルの街の無数の街灯が初めて見えた時の興奮。そしてロビーで首に掛けてもらったレイ。一種独特な空港建物の中の甘い香り、初めての入国審査。全てが珍しく、私は全身でそうした異文化を一つ残さず吸収しようとしていた。

ハワイからロスまでは乗ってきた同じJALだったと思う。4時間ほどのち、ロサンゼルスに着いた。見渡す限り空港の敷地は広がり、JALは空港の指定されたところに駐機していた。、私はタラップの階段を一人歩いて降りて空港の地面に降り立った。

今と違い、降りる人も少なかった。バスもなく、近くの
建物の入り口に向かって歩こうとしたが、どこが入り口がわからない。そのとき遥か彼方の建物の前で、私に向かって大きく手を振る若者が見えた。N證券の川和氏が迎えに来てくださっていたのだ。”地獄に仏”私には彼がそのように見えた。川和さんの運転する車で、私たちは支店長さんの待つ事務所に向かった。広い道路、行きかう車、聳え立つ高層ビル、交差するハイウエイ。 私は初日からアメリカのありのままを自分の目に焼きつかせるのだった

オフイスでは日系二世のGeoge .Kasai氏が待 っていた。彼にはすでに日本から用件が伝わっており、
開口一番、私の日程と目的を聞き、一番して欲しいことは何か、尋ねた。私は時差ぼけも多少は残っていたが、ホテルでチェックインしたあと、家庭訪問やショッピングセンターを見て回りたいと案内をお願いした。

彼は即座に店の顧客名簿から、いく人かをリストアップし、

アポイントを取るやいなや、私を積んでホテルまで送り、

次々に何軒かの家庭を自分の車で案内してくれた。そして

私も初日から各家庭の主婦などにインタビューしたり、

キチン周りなどの写真をとらせてもらい、アメリカの家庭

ではどのように家電製品を利用しているか学んだ。車中で

もKasaiさんは多くのことを私に説明し教えてくださった。

最後のインタビューが終わったのは夜遅くだった。
 翌日のスケデュールはオフィスで川和さんにガイドをバト

ンタッチするため、朝早くホテルを出発しなければならなか

ったが、Kasaiさんはキチンと6時前にホテルに車で現れた。
夜が遅くなったので心配していたが、全く彼は疲れを見せな

い。こういうところも大変勉強になった。翌日はハリウッド

からビバリーヒルのショッピングセンターなどを川和さんが

案内してくれた。それのみかほんもののディズニーランドを

案内してくれた。


 所長以外に一人しか居ない日本人スタッフである。見ず知

らずの私の案内を引き受けてくれ、私に多くのことを学ばせ

ようと懸命に努めてくださったお二人にその後私はお目にか

かっていない。もう、こうしたことを覚えて居られないかも

知れないが、その後にこの旅行で得た成果の大きさ、影響の

深さを思うとき、私は何とかしてこの方々にお会いできない

ものかと、いつもその奇跡の再会を夢見ている

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