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丹羽社長と小林部長とは既に話しもまとまっていたらしく、部長は「この男が鈴木です。きっと期待に応えてやってくれると思います」と、滅多に人をほめない上司がこのときに限って盛んに僕を持ち上げる。社長も、そういう商品ができたらきっと世の中の多くのご婦人に喜ばれ、会社も商売繁盛間違いなしと太鼓判を押すものだから、たちまち私はその気になり、新しい未知の仕事に向かって行動を開始した
私は大学も工学部出身の技術者であり、当時、生産技術部に配属され、合成樹脂工場の建設計画や全社の生産工程改善などを担当していた。女性の美容法に関する知識に関しては母親の炭火で熱して髪に熱でくせをつける髪コテしか見たこともなく、話しを聞ける親しい女友達も居なかったのでどうすれば良いか見当もつかなかった。そしておまけに、社内では髪乾燥用のヘアードライヤーや電気カミソリを作ってはいたが、美容に詳しい知識を持つものは誰一人いなかった。
そこで僕はこういう場合にいつも便利重宝していた黄色い表紙の「職業別電話帳(と当時は呼んでいた)」を探してきて、「美容院」のリストから「ナショナル美容室」という名前の美容室を見つけ、その内最も会社から交通至便な梅田新道にある店に電話をかけた。
曰く、「うちの会社と同名だが何か特別な関係があるのか」
「できれば髪の手入れの実際の現場を見学させてほしい」と尋ねたら、
会社とは関係無いが同じ名前であり、そのよしみで見学を許してもよい
との返事を得たので、ノートを片手に店を訪ね、たまたま居合わせた客が
洗髪、カット、パーマ、セットと美髪のフルコース客であったので、
つぶさにその流れをすべて確認することができ、「パーマとセットが違う」
ことや女性が如何にサロンで美しく変身するのかを目近かに見ることができた。
今日では美容室で男性客と女性客が並んでヘアーの手入れをしていても
おかしくないが当時、男性が美容室に入ることには大変抵抗があった。
とても恥ずかしかったが、夢中でノートに一部始終を記録し、帰途、
美容材料問屋O商会に寄り、練習用かつらを購入してタクシーで会社に
それを持ち帰ったが、研究所の広い実験室の中で人形の首が実験机に固定された姿は ( 発売当時の広告・ミセス)
多くの研究員をギョッと驚かせた。こうしてわが社の美容器具開発研究は始まったのである。
●主婦の発案
そもそも、この”お出かけ前にヘアセット”の発想はどこから生まれたのか、そのいきさつにも触れておかねばならない。これは後日聞いた話なのだが、当時M電工は創業者松下幸之助の開発したヘアードライヤー(昭和12年)やバイブレーター(昭和11年)、それに丹羽社長が昭和30年に生産をスタートさせた電気かみそりを作っていた。しかし、丹羽社長はこれらの製品群のみでは事業の一角には育たないとの判断から更に事業の柱になる商品の新たなる開発が必要であると考え、当時営業部門の最高責任者であったK専務(故人)に何を作れば良いか、消費者や市場のニーズを探索するよう命じた。
そこでK専務は堂島にある中央電気倶楽部に毎週1日、主婦数人を集め、食事をしながら歓談し、日頃生活で困っている問題を話してもらうこととした。ある日の会合で出席者のだれかが夜寝るとき頭中に巻いておき、朝になるとそれを外して髪をセットするヘアカーラーを電気の力で巻いて寝なくても良いようにできないかという問題を提案した。
当時の女性は欧米の流行に倣ってカ-ラーを巻いて、フード式になったドライヤーに頭を入れて熱で髪にカールをつけ、ふんわりとふくらみを持つへアースタイルを作っていたが、フード式ドライヤーは美容院にしかなく、一般家庭では女性は必ず夜寝る前に頭じゅうにアミカーラーを巻いて寝ていた。女性としてはそれは大変寝苦しく、夜を共にする相手に見せたくない格好だった。社内随一の粋人でもあったK専務は発言を聞き、たちまちこのテーマの有望性を確信し、主婦達にその開発を約束したのであった。
