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●昭和49年(1974)世界初発売(その2)
●開発に反対するTOPもいた
 今日ではくるくるドライヤーの開発意義を認めない人は少なくとも業界にはいないと思われるが、最初はそうではなかった。というのはそのような商品を出すと儲け頭のホットカーラーが売れなくなる、だからホットカーラーの売上を下げないのならやってもよいが、それが出来ないならやめておけ、というトップの指示も現実にはあったのである。
 これには参った。そのおそれは確かに指摘されるまでもなく、我々も感じていたが、それを回避しようとしたのでは、力強い市場づくりはできない。しかし、われわれはこの新商品の開発によってさらに損失を上回る売上利益の拡大を確保できるだろうという確信を得ることができたので、トップ指示に従うと言いながらも実は内心「そんなことは不可能だ、要は事業部の利益、販売全体を落とさなければ良いのだろう」そう割り切って背水の陣で開発を進めることにした

われわれ現場には成功への確信があった。勿論、いろいろな角度からの調査も試みたが、最後の判断は「美容院では美容師は片手にブラシを持ち、もう一方の手でドライヤーを操作できる。しかし、家庭でこれと同じことを女性がしようと思っても女性は毛束を片手に持ち、片手にブラシを持つと、ドライヤーは持てないではないか。だからブラシとドライヤーを一体にすることで、はじめて家庭で美容院とおなじようなことができるようになる」というシンプルな論理である。

 今日の開発現場でも同じような議論は戦わされているだろう。しかし、企画者の説明はいかにも尤もな調査結果に基づいているように聞こえるが枝葉末節を述べるだけで、ユーザーのニーズの本質を射ぬく説明を述べていない場合が多い。またその企画開発指示はテーマ発案者の幹部から出ていることが多く、それを追認する議論に会議時間が空費されている。

 どちらの幹部も困ったものだが、とかく幹部は現場にいるわけではないからヒットテーマ、オリジナルテーマの見極め能力はさほど高くはない。われわれの場合は「まるでわかっとらん幹部」だったから、本当に自分達がしっかりやらねば大変なことになると開発に命を掛けた。昨今のパターンは幹部も担当もどちらも会議には熱心だが、白熱した論戦もなく、ますます企画会議は形骸化している。まだ前者のパターンの方がましかもしれない。

●親身にご指導頂いた河内純先生。

 まだホットカーラーの販売が好調だったころから、その商品の改良や美容の

プロの世界の動向をいち早く捉え、手を打ちたいわれわれである。家庭美容の

発展に良き理解者であった美容界の重鎮、河内純先生(故人)には何かと技術

的なことや女性マーケットの動向などを幅広くご指導頂いた。

先生のご紹介でNHDK日本ヘアデザイン協会の行事にも参加させていただき、

プロの業界との交流もひろまっていたが、中には家庭美容の普及は美容院の衰退

につながりかねないとの危惧を持つ美容師も多く、これを和らげることにも

大きな力を貸していただいた。先生は美容界の発展は美容師のみでなく、一般

女性の美意識の普及発展こそその力になるとお考えになったのではないかと

思う。
 先生は若い頃NewYorkの美容学校に留学されていた。そのためか常に未来へ、

インターナショナルな方向へとわが国の美容界をリードされていたのである。

「くるくる」の開発構想を画いたのはまさにそのような交流が新しい進路を生み

出す礎石となったのであって、単なるひらめきやアイデアを形にして成功した

のではないことを明言しておきたい。

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