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その1

ともあれ、私は自分でアメリカに行ってするテーマを考え、稟議を起案しなければならなくなった。私は部長が行けと言う意味は何かを考えた結果、アメリカの家庭を見学し、わが国の家庭との生活の違いや製品の普及している様子の違いを知り、新製品開発のヒントを得たいと考えた。当時大阪市内の桜橋近くにアメリカ文化センターがあった。そこで調べると、丁度、ニューヨークではワールドフェアが開かれ、体系的に生活文化や科学技術の動向も探索できそうであった。それと、アメリカを語るにはニューヨーク、ロサンゼルス、産業や工業の中心地シカゴなどを回ると良いこともわかった。市場調査をするにはロスで1週間、ニューヨークで10日間、シカゴで3日、サンフランシスコ3日程度が必要であり、25日ほどの旅程を組んだ。
 こうした考えをまとめて部長に報告したところ、25日というところで、首をひねっていたが、まあ良かろう、と最後は計画を認めてくれた。時期は諸事情を考え、準備期間も見て、10月ごろの出発とし、一人で旅行や多少のインタビューも自分でできるように英会話の特訓を受けに行った。近所の教会で開かれていた英会話サークルにも顔を出したが、個人レッスンを受けたくて、カナダ人のシスターに個人教授を受けた。彼女は文章より、単語の発音を徹底的に治してくれた。これは今でも役立っている。

もう一つの準備は訪問地で家庭訪問をしたり、話を聞くのに手助けをしてくれる人を見つけなくてはならない。幸い義兄の紹介で住友商事に挨拶に行き、紹介状を作ってもらった。当時、うちの会社はまだ米国に出先機関もなく、親会社は既にニューヨークに事務所を構えていたが、事情が全く商売に関係ないことなので世話になれるような状況ではなかった
。そうこうするうちにパスポートや航空券、ホテルの手配なども手配出来て、渡米の日も近づき、私は一人で稟議決裁を通してくれた役員や社長のところに挨拶をしてまわった。これは許可をもらったことに対する礼と何か調べてくることはないか、指示があればもらうために廻った。
 
役員室を一つづつ訪ね、財務担当のK常務の部屋まで来たとき、K常務は私に、家庭訪問をするというが、誰か現地で世話をしてくれる者は居るのかと尋ね、いないと答えるとN證券に親しい人が居るから会って頼みなさいと言って電話を自分でとり、うちの若い者がアメリカに行くのでよろしく頼むと頼んでくださった。N證券からはその日のうちに役員の方が来訪され、私の話を聞いて紹介状を作り、ロサンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコ各支店に連絡を入れてくださった。この旅行はN證券のお世話が無かったら殆ど何の成果を得ることも出来なかったであろう。また直属の部下でもない私を心配して、細かいところまでこころやすく援助してくださったK常務の配慮を私は今も忘れることができない。

昔の伸び盛り企業にはこうした太っ腹で、いざというときに自分の部下でも無い者でも親身に力を貸してくれる
幹部がごろごろいた。彼等は時にそうした力技で、社員を心服させ、部下に厳しい状況に立ち向かう勇気を植えつけていた。

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