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●新製品「ホットカーラー」をかついで全国行脚
昭和40年4月漸くテストマーケットで予約をもらった1500台の量産品をお客様までお届けして間もなく、これらの製品にトラブルがあることがわかった。そこで開発段階から設計を担当していたK社員が急遽四国に派遣され現地修理することになった。幸い予約販売だったので1500名の名簿が手許にあり、難なく全商品を修理することが出来て事無きを得たが、これまた初めての開発で貴重な初期トラブルの怖さを経験するというおまけまでついたのだった。
そうこうするうちに化粧品ルートでの大きな反響から、電器店でも何故売ってはいけないのかという声が全国にひろがり、化粧品ルートは大阪、廣島等一部地域しかカバーできていなかったっため、電器店でもこれを発売することになった。
あれほど発売に反対していた営業が1年もしないうちに全く違うことを言い出したのである。
何年も経たない間に電器店で美容器具を扱うことが一般的になり、再販制度に守られた化粧品店では扱わなくなったのだが、このような営業政策の変更はお得意先様にいろいろとご迷惑をかけることとなり、信用を失うことになった。
今日流に言えば一貫性ある経営戦略がいかに重要かということを思い知らされたのである。
しかし、だからと言って電器店での販売が順調に広がったのでは決してなかった。
市場での知名度も低く、電器店でも”美容器具”の扱い方を説明できなかった。
そこで私は研究所から事業部へ転属を希望して、ホットカーラーの販促要員として自ら全国を歩く決心をした。
またこの商品の素晴らしい効果を訴えるには美容師の
力を借りなくてはならない。
こうして昭和42年当時カネボー化粧品の専属美容講師
だった(故)桝山キミ子先生との全国ヤジキタ道中が
始まった。
例えば北海道釧路市では販売会社に電気店のおかみさん
約3名ヘルパーさん2名などに集まってもらい、商品説明
や美容実演を行い、最後に参加者がお互いにセットを
しあう、そんな講習会を開いたのだが、知床半島のつけね
の羅臼町の電器店のお上さんがバス、列車を5時間半も
乗り継いで出席して頂いたのにはとても感激した。
このキャンペーンは約半年、全国72ヶ所の会場で有力
ショップ店2300店以上の方を招いて開催した。
今日、松下電工が美容器具の分野で大きな地位を築くこと
が出来たのもこの徹底したルート浸透政策がきっかけに
なったと言って過言ではない。
余談ではあるが、お酒の滅法好きな桝山先生のかばん持ち
をしたお蔭で全国の観光名所に足を運ぶことが出来たし、
経験のない営業の仕事への理解も深めることができた。
この経験がなければ後の事業部長はつとまらなかっただろう。
●「ホットカーラー」は商品の代名詞に成長。
営業サイドの組織をあげての推販が始まる一方、ものづくりを知らない研究所開発製品に冷ややかだった工場も
丹羽会長のこの工場はこの商品を作るために作った工場であるとの檄を受け、
懸命に積極的に増産体制や品種拡充を図った。当初、お湯で温める湿式だった
商品もアルミ筒にパラフィンを封入した乾式カーラーに進化し、準備時間カ
短縮され、収納取り扱いも簡便化され、市場で一声を風靡する商品に成長した。
ただ一方ではセットに来てくれる客足の減少を恐れる美容院の一部が執拗に
ホットカーラーは髪を傷める、と女性客に警告し大きな騒ぎになりかけたこと
もあった。われわれは東京にある毛髪科学協会にこの真偽を確かめるため相談
をしたところ、科学警察研究所に居られた須藤武雄先生を紹介された。先生は
美容師がホットカーラーで傷んだと指摘した毛髪を細かく顕微鏡で調べられ、
その間違いを証明してくださった。
こうしてホットカーラーは多くの女性に親しまれ全国に愛用の輪を広げ、今日では
美容師自身までが臨機応変にヘアメイクに活用される商品として生き残っている。

