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​昭和53年(1983)

事件の発端は次掲の新聞広告によって起こされました。この広告が大手新聞に繰り返し掲載され、初めにこの製品を開発して売り出した四国の電気メーカーのみでなく。大手電器メーカーの殆どが類似製品を発売し、全国の量販電気店の店頭で大大的に販売が行われました。

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その中でトップメーカーの松下電工はこの製品は売らないし作らない、というのですから、全国の営業部門の責任者がだまってはおりません。事業部長のM氏が全社販売会議でその理由を問い詰められ

​「うちには私よりエライ人がおりまして、この商品は作れません。と言い訳し、満座の笑いと嘲笑を受けたと聞きました。エライ人というのは商品企画責任者の私しかいません。その秋になり、次の新聞発表が出るまでは針むしろに座っている心地の毎日でした。

                       私を救ったのは左のような1枚の新聞記事

                       でした。曰く、この製品は効果が認められ

                       ない、よってメーカーには製造責任を課す

                       というものでした。

                       後日、私は事業部長から「当社は君のお陰

                       で返品在庫の山を築くことなく、何十億も

                       の損を出さずに済んだ」と、それだけでな

                       く松下電工への業界の信頼感が一気に高ま

                       り、以後の展開に大変大きなフォローの風

                       が吹くことになったのです。

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